走りながら考える~人生は長いマラソンだな~

無理な背伸びはしなくていい。嫌いなこともしなくていい。できることを仕事にしよう。できないことは諦めろ。気が進まないことも断ろう。好きなことをやろう。今日が人生最後の一日でもOKなように。

ワークアズライフのススメ①

17年のころの出来事をネタに休職日記を書いていたが、ちょっとお休み中です。

 

休職日記は、ネタ的に、私本人としてもつらい記憶の掘り起しだし、気も乗らないので、ずっと後回しにしている。今日は「ワーク」と「ライフ」について書いてみたい。

 

休職していたのは、17年の8月末から18年の4月まで。

私はその間に、お遍路に行き、くだらない精神科医の話を聞き、自分がいったいこれからどうすべきかをずっと問いかけながら過ごした。

 

ひょんなことから、声がかかって手伝うことになった大学の後輩の事業に、

なぜかいま引きずり込まれ(いや、正確にはのめりこみ?)、

実のところ、毎日がかなり楽しい

もちろん、辛い境地に追い込まれることもあるけど、時にはほぼ1か月休みなしなんてこともあるが、仲間と力を合わせて戦って切り抜けている。

 

ある人から、「ハコさんが昔いた、あんな会社に入れたら、俺は一生しがみつきたいけどなぁ」と言われたことがある。

「ハコさん、そのまま辞めなかった方が安泰でしたよね」とも。

 

みなさん察しがつくと思うが、こんなコメントをくれる人は、総じてオモロイ人種ではない

よって付き合いは減っていくので、最近はそんなことも言われなくなっているのだが。

 

で、なぜ私は日本人なら誰もが知っている有名な企業を辞めて、転職したのか?

 

それは、「やってもやらんくても、いっしょ。」という状況に耐えられなかったから。

 

新卒で入社したその企業では、半年に一度の評価が行われていた。

トリプルAとか、ダブルA、低いのは評価トリプルCというようなものだった。

しかし、最上位と最下位を比較しても、給料はおそらく5%くらいしか変わらない

 

そして、会話する時間が無駄に思えるような、残念な人種が多かった。

 

①権利主張の時だけ元気な万年主任クラスおやじたち

40代:昇進はしたくないし責任持たされるのは嫌。そこそこ仕事頑張るから、5時で帰らせろ!

50代:ベースアップは当然だよね、てゆうか、もっと給料上げてくれよ、ローンと息子の学費で手いっぱいだよ。

58歳:早期退職か、応募したろかな~。ええ?退職金3000万円の5割増し?ふざけんな!倍出しても会社潰れんやろ!

 

②ブランドにしがみつくお局:(これも実話)

 事業ごと新会社に切り出して全員転籍が決まった折、

「私は親会社に入ったのに、なんで今更子会社に転籍なの?」

 と本気で上層部に直談判、組合に乗り込み、マスコミにリークし...

 会社も優しいから結局親会社のまま別部署に異動した。

 

 これらはひどい例だけれでも、しかし、

「一度入ったこの会社、辞めるわけいかんで。」

「腐っても○○○ブランドや。イケてるんやで~」

 本気で、そんなセリフを吐くやつがいた。

 心の中だけでもそう考えている人を入れれば、こういった輩は、私の勝手な計算では7~8割。

 こういう人々と話すのって、楽しくないんだよね。

 

 13年勤務して、半分は海外駐在だったので待遇も悪くはなったし、海外の前線は責任も重くスピード感がある。(海外の顧客のスピードに振り回されているだけの感もあるが)

 それが、2回目の海外駐在から帰って、国内勤務になり、やはりスピード感もない、必死さもない、ぬるま湯に浸った彼らと一緒にいるのが耐えられなくなっていた。

 

「このままここにいて、定年して、いつか死ぬときに、俺は絶対人生を後悔するだろう。」

「何のために生まれてきたのか、わからずに死にたくない」

 

そういう心境だった。

 

「人生ぐるぐる螺旋階段」の写真

 転職は1年ほどかけてじっくり進め、納得して入社した。

 海外駐在経験や、マネジメント経験、語学などのスキルもあるだろうが、

少なからず、○○○プランドの力もあったとおもう。(ここはブランドに助けられた)

 

 成長を続ける会社に転職して給与も上がった。

 前職に比べたら売り上げ規模は50分の1ほど。

 それでも東証一部上場企業。

 私はあるとき「小さい会社に転職したんだよね」、と言ってしまい、友人から顰蹙を買ったこともある。

 たしかに、そういう私も、ブランドある大企業に毒されていたのだ。

 

 成長を続けるベンチャー的な企業、日々緊張の連続だったが、苦しかったけど楽しんでもいた。

 しかし、5年目に昇格した時から、突然歯車が狂い、私は身体を壊し、結果的に心もほぼ、折れてしまった。

 

 それから、3年が過ぎた。

 今、私は理想の人生に近づいている気がする

 

(続く)