走りながら考える~人生は長いマラソンだな~

無理な背伸びはしなくていい。嫌いなこともしなくていい。できることを仕事にしよう。できないことは諦めろ。気が進まないことも断ろう。好きなことをやろう。今日が人生最後の一日でもOKなように。

第12日 21.7km 累計507.7km

第2回の区切り打ち、6日目だ。

まさか、この日、とうとう公共交通機関に頼ることになるとは…。

 

朝。右のアキレス腱は大丈夫。しかし昨晩痛くなった左の親指付け根が、悲しいことに朝はさらに痛くなった。悪い予感がしていたが、これは痛風ではないだろうか。

歩き始めると、辛い。痛み止めを飲みたいが、早朝は薬局が開いてない。

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4km歩くと四万十大橋に着いた。朝霧が垂れこめていて、よく見ると山間部の谷間から朝霧がどんどん湧き出してくるのがわかる。

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綺麗な景色に癒されるも、足の痛みは強くなるばかり。ペースを落としてひたすら歩くしかない。観光バス(おそらくお遍路ツアー)のおばさんが手を振ってくれた。その後も足摺岬行きの路線バスから女性が笑顔で手を振ってくれた。こちらも手を振る。少し勇気付けられる。

 

中村市街を背に、山に入る。下ノ加江のトンネル近くまで10キロ歩いた。ここから一番近いドラッグストアまであと24kmもある。そこで痛み止めを飲めばどうにかなるか?ゆっくりでもいいので今日は宿をとっている足摺岬にたどり着いて明日朝一で金剛福寺を打ちたい…。

 

下ノ加江トンネルは1620メートルの長いトンネルだ。

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昔の遍路は山越えしていただろう。難所だったのではないか。遍路道が整備された明治時代の遍路でも60日以上かかったと言う。出る前に火打ち石で送り出したものだ、と徳島のホテルの女将さんが話していた。彼女のおばあさんから聞いたという話。

下ノ加江地区に来た。苔を削った標識?がある。

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ざまにゆっくりとは、すごくゆっくり、ということらしい。下記の記事でわかった。

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コンビニで軽い食事をとる。足の痛みは強くなっていく。再び歩き出す時は、もうギブアップした方が良いのではと思うほどだ。

心が折れかけているところで、突然おじさんが駆け寄ってきた。「お遍路さーん!これお接待」と言っておせんべいの入った袋渡してくれた。小分けにして準備しているのである。私はありがたくいただいた。

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「ありがとうございます。本当にありがとうございます。」

それを手に私はまた歩き始めた。おじさんは足早にどこかへ消えていった。私は涙が出そうになった。自分が原因でこんな辛い状況に陥っていっていて、それでも一人でで進むしかないのだが、お接待の気持ちが嬉しかった。

久百々と言う地域に着いた。

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約22キロメートル地点。もう左足の痛みはピーク。なんとか14km先の土佐清水まで歩き、そこのドラッグストアで薬を調達し痛み止めを飲んでから、とりあえずバスで足摺岬へ向かおう、と、何度も同じことを考える。予約をしている宿には何とかチェックインを済ませる。明日以降どこまでいくかは今日の夜考えよう。久百々の海を見ながらとりあえず休む。それだけ。

 

お接待のせんべいの中に入っていた紙は、ロッジカメリアのものでした。

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宿泊3,000円で夕食も朝食も込み(お接待)、なんと良心的な宿でしょう。一昨日ゲストハウス四万十で一緒だった自転車お遍路の女性が言っていた宿でした。

 

再び歩き始めた。しかし足が本当に痛い。久百々のバス停が見えた。

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時刻を見るとちょうど12時17分に土佐清水バスセンターに行くバスがある。あと10分だ。このまま乗ってしまえばこの痛みから解放される。逡巡したが…乗ることにした。バスを待つ。

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バスが来た。とうとう乗ってしまったと言う悔しい気持ちと、もう歩かなくて良いと言うほっとした気持ちが混ざり合う複雑な心境だ。

バス停の真ん前には民宿くもも(久百々)があった。朝日新聞記者の辰野さんの本にも登場する宿だ。次回の区切り打ちは、ここから始めよう、そう決めた。

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30分ほどで土佐清水のバスセンターに着いた。すぐ近くのドラッグストアへ歩いていく。しかし、たかだか数十メートルの移動も辛い。
薬を買って、とりあえずバスセンターのベンチで、薬を飲む。
バスセンターから足摺岬へのバスは3時間後なので少し歩いて別の停留所へ向かった。よちよち歩きだ。地元のスーパーで昼食をとる。とりあえず座っていられるのはうれしい。

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足摺岬行きのバスに乗る。終点に着くと金剛福寺があった。時刻は15:30。信じられないくらい早く着いた。バスの中では薬のせいか爆睡。バスを下りると、足は心なし痛みが引いているようだ。

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金剛福寺を打ち、足摺岬へ。

絶壁に建つ灯台を望む。

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断崖を目の前に、いまの自分の置かれた状況を考える。お遍路に出る人の背景は、昔も今も様々だ。出家したり修験者たる者だけが巡礼していたものが、庶民に広がったのは江戸から明治にかけて。当時は2-3ヶ月かけて、見ず知らずの厳しい波浪と不毛の地を巡った。多くの自分の置かれた境遇に悲観して旅立った遍路は、足摺の断崖を目の前に圧倒され、ここで身を投げてしまう者もいたという。そんなことを考えながら、自分はこれからどこへ向かうのかを、静かに考える。

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18時近くになると日が暮れ、人気も無くなった。食事の調達を忘れていた。小さな地元のスーパーがあったが、惣菜は売り切れ。

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何年ぶりだろうか?焼きそばUFOを買った。それを晩御飯とした。

足の痛みが引くまでは、バスや電車に頼る。今度来た時に、歩き直せばいい、そう言い聞かせたが、でもやっぱり少し虚しさがこみ上げる。

 

 つづく