昨晩11時過ぎに就寝し、5時過ぎに起床。準備をしてから1階に降りると、私におにぎりが3つとペットボトルに温かいお茶を入れてくれていました。おばあさんに、いや奥野三津子ことみっちゃんに、港の集落から細い道を上ったスカイラインまで車で送ってもらいます。昨日は気に留めませんでしたが、車はマニュアル車でした。「パワーがない、パワーがない」と言いながらヨッコラセと登っていく感じです。昔かマニュアル車を使っていたので、今更オートマには慣れないそうです。新車を買ってもマニュアル。お年寄りでオートマに変えた途端事故をする人もいるらしく、マニュアルで頭と手足を使いながら運転するのがいいんじゃないかとおっしゃってました。一理あるなと思いました。この舗装道ができる前はそもそも道がなかったそうです。なので普段の交通手段は船だったそう。なのでみっちゃんは船の免許をお持ちだとか。でも道が出来てから船は売っちゃったそうです。
スカイラインに着きました。みっちゃんこと奥野三津子さんとお別れします。次はいつ来れるか分かりませんし、少し寂しいです。みっちゃんは車をUターンさせてまた車を止めて、わざわざ「気をつけてね。」とまた一言かけてくれました。その車見送っていると、少しジーンときてありがたさとすぐに別れてしまった寂しさで何だかウルっとなりました。
このペットボトルは、中身はおかみさんが入れてくれた温かい緑茶です。
歩き始めてすぐ、右足のアキレス腱の内側が痛みます。昨晩も痛んでいたのですが、今回の方が痛みが強くなっています。今日は37番岩本寺まで40kmを歩く計画ですがこの調子では予定通りに行くのが難しいかもしれませんね。あまり痛みが強くなるようであればテーピングで固定するなどの対応が必要です。
なんか歩いていると武市半平太像の標識が見えました。一昨日は彼の生家の近くを通ったのですが見る時間がありませんでした。なので今日は彼の像を見に行きました。
歩きながらおかみさんが作ってくれたおにぎりを食べます。もうなんだかぎゅうぎゅうにお米あ詰まっており、モチモチして美味しい。梅と塩わかめかな?
おかみさんがおっしゃっていましたが、息子さんが小学1年生の時に旦那様をなくされました。朝日新聞の記者 辰野さんの本に書いてあったことを思い出しました。女手1つで育てるために、民宿をやらざるをえなかったと言うことだったと思います。息子さんは今は南国市後免町に住んでいてここから40km位あるのですが、毎月お母さんに会いに帰ってこられるそうです。そして毎月お父さんの墓参りをされるんだそうです。私もこの年になって遠い九州の実家に帰る機会がとても少なくなっています。実家に帰る機会はなるべく多く持ちたいと思いました。
アップダウンを繰り返しながら10km通過。朝霧の浦ノ内湾へ降りた。スカイラインは終了。
須崎市の市街地へ続くトンネルをくぐった。
遍路小屋で休憩。11km歩いた。ちょうど2時間だ。
その遍路小屋の中に壁に貼られた新聞記事を発見した。なんと僕が今日泊まる予定にしている、昨日ブッキング.comで予約したゲストハウス40010(四万十と読みます)。
今年の5月に里帰りした元教員の27歳の女性がオープンしたものです。旦那様を東京に残して生まれたばかりのお子さんと帰ってきたらしい。そこまでして夢を実現させたのだそうです。上海に留学した経験もあるらしく、中国台湾からのお客様も多いそう。なんだか今晩の楽しみができました。
歩き始めて13km地点。左手には住友大阪セメントの大きな工場が見える。
この頃は右足のアキレス腱の痛みもずいぶん小さくなっていた。この調子が続けば良いのだが…。
須崎市内に入った。
今回の遍路で余分になった荷物をファミリーマートから発送した。はこブーンminiと言うサービスを利用。日にちはかかるが、700円で東京まで送られる。とても便利。初めて使うにしてはスムーズに登録手続きや伝票の発行ができたが、それでも25分ほど時間をロスした。今日の目的地ゲストハウスでは約46km。途中時間のロスも発生するので、2時間の余裕を見ているが、今16km時点で既に合計60分ほど消化してしまった。
須崎市内の大きな道の駅に到着。
余裕があれば取りしたいところだが、レストランも閉まってるし、少しコーヒーを飲んでから再出発。
須崎市の安和地区に到着しました。これから峠を越える手前でバイクのおばあさんが声をかけてくれました。
「その靴山用の靴ちゃうの?どれどれ、あら山用のやないなぁ。紐の結び方いい方法あるから教えたるわ。」
…とおっしゃってバイクを降りて僕の紐を二重結びしてくれました。
「すまんなぁ、おせっかいで。うちもやりましたんや、昔お遍路を。だから気になって」とのことです。これで山行きも紐が緩んだりする事はないと言うことでした
その優しさがほんとにうれしいです。この写真が走り去るおばあさんの白姿です。
コスモスが綺麗な田んぼがありました。
丁寧に焼坂峠の道を説明した看板があります。
もう一つありました。
もしかしたらこの看板は、さっき声をかけてくれたおばあさんの手作りだろうか?まぁ、それは考えすぎかな。
焼坂峠の遍路道のすぐ脇を家にある土讃線の電車が通りました。本数が少ないので、ラッキーかも。
突然急な坂道を登らなくてはいけなくなった。黄色のロープが垂らしてある。それをを手繰りながら登る。
瓦礫の続く道をひたすら登ります。
時折足を取られそうになります。先程のおばあさんはこれを知っていたから僕の靴紐を結んでくれたんですね。
途中、吊るしてあった看板があった。
「心を洗い、心を磨く遍路道、一期一会の旅」
僕は心を磨けているだろうか。
焼坂峠の上に付いた。アキレス腱の内側が2、3回ほど、痛みで「あいたた!」と声が出るような瞬間があった。こういう登りは今日はあと2回あるが、どこまでもつだろうか…。先行きが思いやられる
峠を降りる道で向かいから歩いてくる男性がいた。よく見ると遍路道の整備をしているようです。先ほど私が使った黄色いロープも束を手にしていました。お疲れ様です。と声をかけてすれ違いました。
所々に手作りの遍路道の案内があります。この倒木に巻かれたものは先ほどすれ違った男性が持っていました。ありがとうございます。
ボランティアの皆さんそれぞれで案内版のデザインも異なっています。とても手作り感があります。
土佐久礼の街では、女性のお遍路さんが前から歩いてきた。逆打ちのようです。道を聞かれたので、このまままっすぐ行けば国道に出ますと語りました。
土佐久礼の街には、1つの分岐点がある。明治時代に開かれた、大阪峠の遍路道、もう一つは江戸時代に遍路道を整備したことで有名な真庵により開かれた「そえみすず」と言う遍路道です。後者は一度標高400m上まで登りその後降って標高287mの七子峠を超えます。前者大阪峠遍路道は、直接七子峠を目指します。今回は比較的楽そうな大阪峠の道を開きました
土佐久礼を抜ける頃、29km地点です。今日はあと17キロ。残すは3分の1ほどになりました。右足のアキレス腱の痛みは少し落ち着いていますが、両足の裏がだんだんと痛み始め、これまでと同じスピードで歩くのが少し辛くなってきました。今日はなんとか行けても、明日も同じほど50キロ近くの距離を歩くのはもしかしたら大変辛いかもしれません。
大坂谷川の流れ沿って進む
峠まで5キロの道のりです。緩やかに登りますが最後の1キロは急斜面なはずです。途中で休憩を挟みながら登ります。さもなくば足裏の痛みでスピードががくんと落ちてしまうからです。
畑仕事中の婆さんが声をかけてくれました。こんにちは、頑張ってね。と笑顔遅れました。この写真のおばあさんです。
七子峠の最後の急斜面掛け前でまた一休み。お遍路小屋で3分ほど座りました。
地元の壮行会の人が最近トイレを作ってくれたようです。こういった皆様の協力で遍路道は維持されています。
途中斜めになっている道もあって慎重に行かないと危険です。
エプソンのGPSウォッチで高度計を見ながら登ります。こうすれば距離表示よりも今到達した標高がわかって、励みになります。
最後は階段を登ります。
階段を登りきってやっとなことを家につきました。高度は290メートル。
そこは駐車場になっていました。
ここからは四万十町(旧窪川町)に向かって標高100mほど降りて行きます。
岩本寺まであと13.8キロメートルと言う標識を発見しました。という事は、今日の目的地があるゲストハウス四万十までは約10kmです。あともう少しだ!
ちょうど40km位のところで、確か影野の駅のあたりで、ちっちゃいおばあさんがぽつんと座っていました。こんにちはと挨拶をすると立ち上がって手を合わせて、あーお疲れ様ですお遍路ですかと聞かれました。私も時間に余裕があるので立ち止まって、はいそうですと答えました。
そのおばあさんは90過ぎそうですがとてもちっちゃいのですがお元気です。もう音旦那様にも先立たれたそうです。
子供さんは3人おられるようですが、相模原に住んでいた長女はもう亡くなられているのです。昔はよく電話をくれたそうです。週に3回はその長女と長男が交互に電話をしてくれたそうです。しかし近くに住んでいる次女は半年以上も顔見せないらしいです。今は一人暮らしですのでこうして外に座ってお遍路さんに機会があればお話をしているそうです。お遍路にも車ですが6回も行かれ、番外道場に2回回られたとのこと。歩いていくとさらに功徳があると思いますよとおっしゃってくれました
納札をお渡しすると、とてもありがたいありがたいと言っていただけました。おばあさんは、ぜひあなたのお母さんにも電話をしてあげてくださいとおっしゃいました。今でも長女はなくなりましたがお孫さんからの電話がとってもうれしそうです。私も今母とはLINEだけどつながっていいなんですが、たまには電話をしてあげようと思いました。
ゲストハウスまでの短い距離で他にも2人から声をかけられて励まされました。ありがとうございます。
晩御飯はどうしようかとずっと考えていましたが、ゲストハウスの最寄りの駅から電車で一駅行ってそこで調達しようかと思っていました。ところが地図に載っていないスーパーを発見。こちらで夕食を購入しました。
スーパーの中で、ゲストハウスからお電話がかかってきた。お気をつけてお越し下さいとの事でした。
ゲストハウスは道路から見ると線路の向こう側です。どこから行くのかなと思っていたら、オーナーの女性が出て来てくれて手を振ってくれます
「あちらの踏切を渡って下さ〜い!」
と教えてくれます。
あの新聞の切り抜きで見た女性です。
とても気さくで明るくて社交的な方です。丁寧にハウス内を案内してくれます。小さな子供さんを育てながら一人で切り盛りしています。
「おかげさまで、今日は満室なんでしす(*^^*)」とのこと。私も中国留学経験があってと言うと「大先輩ですね!」と。たしかに24年前ですからね…。「残念ながら今日は中華系のお客さんいなくて。いたらもっと楽しいですね」「口コミなのか広がって、海外のお客様が増えているんです」と。清潔な部屋だし、フリードリンクや調味料、洗濯機も洗剤も洗濯ネットもある、ゴミも分別すれば全て捨てて良い(持ち帰らせる宿もある)、細かな配慮が行き届いています。
この日は大学生グループや、自転車の女性など。私は2人部屋を1人で使わせていただき、ゆっくり出来ました。
食事をした後は、なんとなくメインルームに集まって来ておしゃべり。京都から自転車でお遍路をして北九州に帰る女性。彼女はスペインの巡礼やアフリカも回っていて、経験豊富、旅行ネタが尽きない。
保育を専攻する大学生、インドネシア語を操る大学生、オーナーあやこさんの友人など、人が入れ替わり立ち替わりで、話し込んでしまい、気づいたら22時の消灯時間!
あやこさんは、中国人の旦那様が埼玉から帰ってくる準備中で、ゲストハウス以外には、窪川で食堂オープンする予定で、物件も押さえているらしい。
彼女は地域交流を活発にするために、能力やポテンシャルのある農産物やコンテンツを繋げていきたいらしい。地域を活性化させるキーパーソンだと感じた。
元気な若者に刺激された一晩だった。