走りながら考える~人生は長いマラソンだな~

無理な背伸びはしなくていい。嫌いなこともしなくていい。できることを仕事にしよう。できないことは諦めろ。気が進まないことも断ろう。好きなことをやろう。今日が人生最後の一日でもOKなように。

中国マラソン紀行 3日目

いよいよ上海マラソン本番の日です。お遍路の6日間280kmでの痛みはすべて消えたし、体重は目標の60kgを下回ったし、火曜日のアシックスの練習でもインターバルでBUもインターバルもいい感じだった。ということで、セカンドベストの2時間53分ぐらいを目指すことに決めていました。

朝は友人と4時過ぎに起きることを決めて、ゼッケンもつけて準備万端。

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夜は少し寝つきも悪かったですが、4時間ほどは眠れました。

上海のランニングチームの集合時間に合わせて、私だけ先に出ます。

足を温存するため、シェアチャリのofoで向かいました。

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懐かしい面々とおしゃべりして記念撮影。30名ぐらいはいたのでは?

 

深センメンバーと再度合流して、荷物を預け、スタートの1時間ほど前にはスタート位置へ行きます。Aゾーンの前から5列目くらい?なかなか良い位置です。昨年は直前にトイレに行きなおして出ないものを出そうと頑張って、かなり後ろのスタートになりました。今年は同じ轍は踏みません。(でも昨晩なぜか夕食後におなかがユルユルになったため、すでに胃腸は軽めでした)

 

Aゾーンの前には通常は招待選手なのですが、今回はチャリティー枠の人々がいる…。

いよいよスタートしましたが、このチャリティーの人々、動画や写真と撮りながら思い思いにお祭り感を満喫しながらユルく走り始める推定BMI25~30の人々、を押しのけるのが大変であった。スタートまで25秒ロス、最初の1㎞は4分30秒かかってしまった。でもこれも昨年よりは1分ほど改善しており、順調です。

 

南京路などを走る前半は快調でした。4分5秒ほどを刻みます。サブスリー仲間の2,3名に先を越されましたが、気にせず自分のペースを守ります。右のふくらはぎは、アシックスの練習会で酷使した部分で、少し筋肉に痛みがあるが、想定内です。でも実は走り始めてすぐに左の大腿四頭筋が痛いことに気づく(正確にはその真ん中の表面にある大腿直筋というようです)。この2週間は痛んだことがなかったので、不思議でした。マラソンレースではあまりこれまで痛んだ記憶がない。走りながら考えていると、おそらく、お遍路で最初の2日間のお遍路転がし(急こう配の遍路道)の下りで痛みが一番強かったところかなと察しがつきます。お遍路から帰って、筋肉の痛みは順調になくなっていって完全に消えたと思っていましたが、やはり奥のほうには残っているもんなんですね。考えが甘かった。

大腿直筋の痛みが強くならないことを祈りながら、とりあえずは4分5秒を刻む。

 

EPSONGPSウォッチはGarminより正確というのが私の経験からの判断です。それぞれ2モデルずつ使用経験あり。そのEPSONをもってしても、曇り空と上海の摩天楼の影響には抗えず?数値はあまり正しくありません。自分の感覚を大事にしながら時計もみながら走ります。後で友人から「時計を見すぎだよ!」と言われました。

実は、4分5秒を刻むのに、いつもよりパワーが必要でした。少しずつ遅れるので、そのたびに時計を確認しながらギアを少し上げるような走り。だからいつもより頻繁に時計を見る。これはよくない傾向です。通常の成功レースは、ハーフの時点でも楽チン、体力は20~30%を使っただけで大部分を後半に爆発させるというものです。昨年の上海も前半1時間27分、後半1時間25分という見事なネガティブラップでした。ところが今年はハーフは同じタイムですが、消耗が激しく、70%以上消費している感覚。この時点で、ぎりぎりサブスリーを目標にしようと、ペースを落とすことにしました。まだ、なんとかイケると思っていました、この時は…。

 

22kmから23kmまでで4分15秒、そして24kmまでには左の大腿直筋の痛みがまた急に大きくなり、4分30秒まで落ちる。ここで、サブスリーもできないのでは?と不安になり始めた。これまでいくら撃沈しても気持ちで走ってきたから、ゆっくりになってもいいから完走しようと思いはじめる。しかし、大腿直筋の痛みは想定を超えていました。痛み曲線が急上昇し、直感的に「やばい、筋肉が切れる!」と思うほどに。リタイアなんて考えたこともなく、それは絶対できないと思ってましたが、あまりに痛いので、本能的に走りをストップしてしまいました。今考えれば、肉離れの直前だったかもしれません。

もう、歩くしかできません。

後ろから仲間が声をかけてくれ、おしりたたいてくれます。仲間っていいですね~。うれしいです。しかしその激励には応えられません。そこで、6分~7分ペースで走りながら、追い越していく仲間一人一人に声を掛けます。

もしもスマホを持っていたら、みんなの写真やレースの様子を撮りたかったな~。ゆっくりレースの様子を見るのはある意味貴重な経験でした。

↓この写真は友人撮影。レースの様子。

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ひとしきり応援した後、路肩の係員に収容車がいつ来るか聞いたのですが、1時間以上は来ないでしょうとのこと。だんだん体も冷えてきた。地下鉄の駅もあるが、現金もスマホも地下鉄カードも何も持っていないので、乗れません。どうしよう…。人生初めてのリタイアです。あたふたしてしまいました。係員の女の子が、「お金をあげるから地下鉄で帰ったらどうですか?風邪ひきますよ」と優しい言葉をかけて、本当にお金を出そうとしてくれていた。寒かったけど、温かい瞬間でした。

別の係員の子が、ショートカットすればゴールまで4kmぐらいだ、と言ったので、救われました。まだサブ3.5レベルのランナーが走っている今のうちに道路の反対に渡れば、一気にゴールに近づける。ありがたい。足を引きずって道路を渡り、歩き始めまた。

のこり2km地点まで差し掛かると観衆が増えている。ランナーは2時間30分でゴールするようなハイレベルな選手たち。私はその沿道をとぼとぼ歩く。すると観衆の人が口々に僕を励ます。

「せっかくここまで頑張ったんだから、早く戻って!」

僕が、足を怪我したんだと伝えても、

「歩いてでもゴールしたほうがいいよ、いまから歩いてもすごいいいタイムだよ!」

と言ってくれます。

私はショートカットして預けた荷物を取りに行くだけなのですが…(笑)

この励ましは、競技場にたどり着くまで延々と続きました。

みんな気さくな中国の人々、こういう明るさは好きですね。

中には「なにやってんのこの人だかり」とか「フルマラソンって何キロ走るの?」なんて質問も飛んできました。

 

競技場には着きましたが、たくさんの入り口が閉鎖されていて、入れません。

周辺の人も「この人ランナーだから入れてあげたらいいじゃないの!足が痛いって言ってんのよ!」と警備員と闘ってくれる人もいました。おそらく周辺を1km以上あっち行ったりこっち行ったりしながら、何とか会場にはいり、預けた荷物を受け取った。

その頃はサブスリーのランナーが完走メダルとフィニッシャータオルを肩に、続々戻ってきます。しかし、私は何も持っていない。これは寂しかった。寒さをしのぐタオルもない。

 

サブスリーや2年ぶりのサブスリー、そして2時間50分切り、という仲間が続々ゴール。本当にすごいぞみんな!みんなに祝福の声をかけて、写真を撮ってあげながら、やはりマラソンは完走しないと寂しいものだなと再認識。初めてのDNFに、戸惑いながら、なんだかこっぱずかしい、甘酸っぱい思い出となりました。

 

その後は、深センの仲間と小籠包を食べ、夜は上海のクラブの総会に出席。打ち上げでは久々の再会に楽しく会話が弾みました。時間が足りなくて、声をかけられなかった仲間もいて、残念。

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みな力を出し切ったり、自己反省もあるレースでしたが、一つのヤマを乗り越えた仲間たちの笑顔は最高でした。マラソンって個人種目ですが、仲間たちといつも共に闘っていると感じられます。マラソンやっていてよかったです。

 

大腿直筋は、指で軽く触れるだけでかなりの痛み。来週のハーフマラソンは、まともには走れないと思います。というより、火曜日からの張家界・鳳凰古城の旅行は、ちゃんと歩けるでしょうか。なんとも情けないことになりました。

 

以上、3日目のご報告でした。